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狼魔人〜さんのブログです。



引用


辺野古移設では反対派の暴徒と翁長知事は意見が一致したが、高江ヘリパッド工事で知事はかつてないほど大規模な機動隊の動員数に「異常だ」などと批判しているだけで、工事そのものに反対するのではない。

翁長知事は25日の定例記者会見で、「500人とも800人ともいわれる機動隊の数は過剰な警備であることは間違いない」(26日付沖縄タイムス)と述べたが、これが「知事、政府の姿勢批判」(同)と報じられた。

しかし翁長氏は「数」が「過剰」だと言っているだけで、工事に反対しているわけでもなければ、機動隊の警備自体を批判しているわけでもない。

さらに「県外の機動隊員が、翁長知事が任命権を持つ県公安委員会の要請で派遣されている点について、『その意味では大変忸怩たるものがある』と述べた


引用以上


    翁長知事は辺野古移設には明確に反対しています。しかし、北部訓練場返還の為のヘリパッド建設については言葉を濁しています。賛成はしていませんが、反対もしていない。翁長知事に対し派遣市民達も苛立っているのです。


    


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by kidokazu | 2016-08-31 14:08 | 政治家 | Comments(0)

狼魔人〜さんのブログです。


引用


名護市キャンプハンセンの軍用地の一部返還で、本日返還地の引渡しが行われ、それに伴い支払われていた補償金も終了する。

これまで補償金欲しさに、返還の延期を要請してきた稲嶺名護市長は「(2段階返還に対し)地域分断のやり方そのものだ」などと怒りをぶちまけている。

「米軍基地撤廃」がモットーの稲嶺市長としては、一部返還だろうが全部返還だろうが、「米軍基地の返還」は喜ぶべきではなかったのか。

これまでの経緯を説明しよう。

日米合同委員会は2013年、次のような軍用地の返還で合意した。

①名護市幸喜の55㌶を14年6月30日

②名護市喜瀬と許田の残り107㌶を17年6月30日

ーと二段階で返還する。

ところが稲嶺名護市長は「3区の返還地は山頂付近の急斜面で跡地利用が難しい」という理由で返還延期を求めていた。


引用以上


   米軍基地が返還されたのですから喜ばしい事です。跡地利用が難しいから反対していたという事ですが、理解不能です。「銃剣とブルドーザー」で無理矢理奪われた?土地が戻って来たのですよ!もっと喜びましょう。


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by kidokazu | 2016-08-31 13:39 | 拡散希望 | Comments(0)

道路封鎖

チョイさん〜のブログです



引用

 まもなく砕石を積んだダンプトラックが動きだしたという連絡が入った。メインゲートとN1ゲートの間に20数台の車が集まってきた。機動隊が県道が封鎖したので、我々も車を並べてダンプトラックの通行を阻止する態勢に入った。





引用以上

   あらかじめ断っておきますがこれは道路です。駐車場ではありません。このような止め方をして、正義ぶっていると言うのはどういう精神状態をしているんでしょう?

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by kidokazu | 2016-08-31 13:04 | 派遣市民 | Comments(0)

史上最低の投票率

琉球弧〜さんのブログです。


引用


今回の選挙は、過去の町長選で大きな争点となっていた役場の移転問題が、昨年11月の住民投票で西表大原への移転が決まり、争点とならなかったことで有権者の関心が低調となり、投票率は過去最低の82.18%にとどまった。
 

引用以上

   82%で過去最低?どれだけ投票率が高かったんだ?この投票率を維持してきた理由が知りたい。

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by kidokazu | 2016-08-30 23:45 | 拡散希望 | Comments(0)

スワップ反対署名

日韓通貨スワップに反対する人の為のサイトです。


拡散希望します。

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by kidokazu | 2016-08-30 22:09 | 拡散希望 | Comments(0)

CROOZブログもアウト

CROOZブログで通化事件を拡散しようとしましたが、弾かれました。



他のアプリではオーケーでした。
いったい何が不適切なのかわかりません。

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by kidokazu | 2016-08-30 21:44 | 拡散希望 | Comments(0)

通化事件

ねずさんのブログです。



引用


通化事件の情況については、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の末、やっとの思いでどうにか無事祖国にたどり着くことができた外科医婦人中郷三己枝さん(当時27歳)の手記があります。
まるごとご紹介します。

***
支那八路軍のことごとに理不尽な暴圧に堪えかねた旧日本軍の一部と在留邦人の中の抗議派の人々が、
国府軍と手を組んで、ついに立ち上がった。

その中心人物は藤田大佐で、かつて戦車隊長として雷名をとどろかせた猛将として有名だった。
昨年六月、通化にやってきた今利(いまり)中将ひきいる第百二十五師団の参謀長だった。

この人たちが、どのような手段で決起したのか知る由もなかったが、総勢、約千名が、二月三日の未明を期して一斉に蜂起した。
それは暴動のようなものではなく、それぞれ攻撃目標を定めた組織的な反乱だった。

しかし、たのみの国民党軍は呼応しなかったし、同時に立ち上がる予定の航空隊は、八路軍(支那共産党軍)の先制攻撃を受けて参加できず、それ以上悪いことに、反乱軍の動きは、八路軍のスパイによって探知されていたため、奇襲攻撃はことごとく失敗に終わった。

部分的に要所を占領した部隊もあったが、それも数時間で壊滅してしまい、敵弾にたおれ、傷ついて捕虜になった者も多く、壮絶な戦死を遂げた者もすくなくなかった。
この反乱は、わずか数時間の後に完全に鎮圧されてしまった。

血に彩られた旧正月の朝は明けた。
おびただしい死体が各所に散乱していた。
この事件は八路軍に大きな衝撃を与え、日本人に対する怒りは頂点に達した。
これは日本人弾圧の絶好の口実となった。

やがて恐ろしい報復が行われ始めた。
元旦を祝って家族がささやかな朝食についたとき、八路軍の兵士が侵入し、夫たちを引き立てて行った。
通化市内では、16歳以上60歳までの日本人男子は、ことごとく八路軍兵舎その他に集合せよと命令された。
市内は恐怖のるつぼと化した。
八路軍側は、抗戦派だけでなく、すべての日本人に対して、仮借なく復讐しようとしたのである。

この反乱にまったく無関係の者も、反乱に反対だった者も、ほとんど差別されなかった。
とくに兵舎の前に集合させられた数百名の日本人は、身震いしておののいていた。
そこにひとりの将校があらわれて、絶叫するように叫んだ。

「今朝、日本人を主とした反乱軍のために、
 わが軍は多大の犠牲を受けた。
 諸君は同胞として、
 その罪を免れることはできない。
 わが軍は報復として、
 ただちに諸君を銃殺に処する」

その瞬間、兵舎の窓から十数台の機関銃が一斉に火を噴いた。
みるみるうちに、ばたばたと倒れた。
重傷を負って死にきれない者に対しては、容赦なくピストルが撃ち込まれた。

死体は待機していたトラックに次々と積み込まれ、一部は渾江の橋の上から凍結した川面に投げ捨てられ、一部は近くの谷間に投げ込まれた。

逮捕拘引された日本人は、およそ三千人に及び、元憲兵隊の監獄や、公署の防空壕の中に分散監禁された。
監禁された日本人は、狭い部屋に何十人も押し込まれ、身動きすらできない中で大小便垂れ流しのまま五日間もの間立ったままにされた。
苦しさのあまり「出してくれ」と叫んだ者があると、銃弾が撃ち込まれてくる。
発狂する者もあれば、中には立ったまま死んだ者もあった。

しばらくして取り調べがはじまると、ひとりひとり引き出され、反乱軍との関係の有無を詰問される。
そのとき態度が悪かったり、言葉に詰まったりすると、こん棒や革のムチで容赦なく、力いっぱい打ちのめされた。
その場で悲鳴をあげて倒れる者、全身を殴りつけられて意識を失い、ついに動けなくなった者も少なくなかった。
そうすると、そのまま戸外に放り出されてしまう。
酷寒二月のことである。
たちまち寒気のために不動のまま凍死してしまった。
やがて材木のようにトラックに積まれ、谷間に投げ込まれる。

するとどこからともなく貧民が集まってきて、硬直した死体から着衣をはぎとってゆく。
全裸の死体は、荷物のように運ばれて、渾江の橋の上から投げ込まれる。
これが毎日のように行われた。
なんという地獄絵図だろうか。

一週間目ごろから、ぽつぽつ釈放者が出るようになったが、帰って来た人も、無傷な人はいなかった。
手を折られた人、足を折られた人、杖にすがってやっと家にたどり着いた人。
帰ってからも発熱のために苦しむ者。
凍傷のため、廃疾者同然になった者などが大部分で、五体満足で帰って来た人はわずかであった。

抑留中は精神に異常をきたし声を出すものなどが続出したが、そのたびに窓から銃撃され、窓際の人間が殺害された。
殺害された者はそのまま立ったままでいるか、他の抑留者の足元で踏み台とされた。
また、数百人が凍傷に罹り不具者となった。

拘束から五日後、部屋から引き出されると、朝鮮人民義勇軍の兵士たちにこん棒で殴りつけられ、多くが、その場で撲殺された。
撲殺を免れたものの多くは、骨折した手足をぶらぶらさせていた。

その後、支那共産党軍による拷問と尋問が行われ、凍結した川の上に引き出されて虐殺が行われた。
女性にも多数の処刑がされた。
渾江川の上には、服をはぎ取られた女性の裸の遺体が転がった。

男たちが拘束されている間、支那共産党軍の兵士たちは、日本人住居に押し入り、家族の前で女性を強姦することもあり、凌辱された女性の中には自殺するものもあった。

事件後、3月10日になると、市内の百貨店で支那共産党軍主催の二・三事件の展示会が開かれた。
戦利品の中央に、蜂起直前に拘束された孫耕暁通化国民党書記長と、二月五日に拘束された藤田実彦大佐が見せしめとして三日間に渡り立たされた。

3月15日に藤田大佐が獄死すると、遺体は市内の広場で三週間さらされた。
渾江(鴨緑江の支流)では、夏になっても中州のよどみに日本人の虐殺死体が何体も浮かんだ。
 

引用以上


拡散希望します


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by kidokazu | 2016-08-30 21:19 | 拡散希望 | Comments(0)

デコログまたアウト

デコログがまたブログを弾きました。

人形町さんのブログです


アドレスを削除するとオーケーでした。


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by kidokazu | 2016-08-30 18:14 | 拡散希望 | Comments(0)

天皇陛下の権利

倉山満さんのブログです




引用

玉音放送に関して。

 東日本大震災時の玉音は、激励権の発動。

 今回の玉音は、警告権被諮問権の発動。

文明国の通義として、立憲君主とは憲法に従い行動する存在であり、自らの意思で政治を動かすことを抑制する。しかし、単なる傀儡(ロボット)であることを要求するものではなく、警告する権利と激励する権利と相談を受ける権利は残される。

それら三つの権利を行使して国政に影響を及ぼすことは許される。なぜならば、君主の発言を聞くかどうかは大臣など臣下の勝手であり、責任は大臣ら臣下にあるからだ。

一義的には安倍内閣が責任を負うが、語りかけられたのは国民全体である。

陛下が、警告権被諮問権を発動された。

しかも、玉音放送という異例の形で。

 引用以上

人形町サロンさんのブログから

http://terget.3zoku.com/sekitei/2008/note/2006/note01.html


引用


バジョットの『英国憲政論』は初版が1867年である。ジャーナリストであるバジョットの議論は法制論に基づいた政治論であり、同書は法律の条文を一条も引用することなく英国憲政の実態を明らかにし、議院内閣制の理論を構築した。君主制に関しても多数の重要な理論を提示している。特に、君主は「警告する権利」「激励する権利」「相談される権利」を有しており、賢明な君主はこの三つの権利の行使により国政に影響を及ぼせる、と説明した。つまり、憲法律である「君臨すれども統治せず」の運用として「警告権」「激励権」「被諮問権」を整理した。
 


引用以上


   ネットをいろいろ検索してみましたが倉山満さんの主張以外は見つけられませんでした。



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by kidokazu | 2016-08-30 17:51 | 法律 | Comments(0)

新党「日本一」

桜井誠さんのブログです

http://s.ameblo.jp/doronpa01/entry-12194505978.html


引用

新党の党名発表について


本日、新党の党名発表を行います。何よりもまず新党の名前は大切なものです。党名については初期メンバーらと協議を重ね、すでに決まっておりますが、改めて党名を公表することで、新党に集う人たちに意識を持ってもらい、現在進めている規約、政策、結党大会準備などの励みとしてもらえればと考えています。なお、本日の午後に党名発表を予定していますが、ずれ込んだ場合は明日30日の朝方、党名発表に変更させて頂きますので予めご了承下さい。


引用以上


続いて桜井誠さんのツイッターから


引用




引用以上


   日本の心を大切にする党から、鞍替えする人もたくさん出て来るのではないでしょうか?



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by kidokazu | 2016-08-29 15:43 | 拡散希望 | Comments(0)