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在日特亜3国の犯罪

太陽に吠えたい〜さんのブログです



引用















引用以上

拡散希望します

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by kidokazu | 2016-07-30 22:50 | 在日 | Comments(0)

〜みずき〜さんのブログです

http://oboega-01.blog.jp/archives/1059657965.html 

引用

キム作家夫婦が次に投入しようと計画している作品は、「強制徴用像」である。ご飯もまともに食べられず、炭鉱や工場へと連行され、奴隷のように働かされたせいで、「徴用像」はげっそりと痩せた青年の姿だという。少女像よりも少し大きくて、炭鉱での仕事を終えて、日差しがまぶしくて手で空を覆った形状だと知らされた。暗闇の中で希望と平和を象徴する光に向かって一歩ずつ進むという意志が込められた作品である。これらの徴用像を日本に設置するのが目標だとした。 

引用以上

   何でもかんでも、反日に利用する大韓民国ですね。

    第5種補給品像を大韓民国全土に普及させよう!

   訂正

大韓民国全土に→全世界に

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by kidokazu | 2016-07-30 20:41 | 大韓民国 | Comments(0)

CROOZブログ

   余命三年時事日記さんのブログ1098
ら「日本人」さんが書かれた内申書についての投稿を、私のブログで拡散希望しました。

   ほとんどのブログでは問題無くウプれたのですが、(デコログDecologが余命のアドレスを弾くのはデフォです。)CROOZ BLOGが本文の内容に文句をつけてきました。




   余命ブログのアドレスを消しても弾かれました。
    チナ、英文だとOKでした。




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by kidokazu | 2016-07-29 17:38 | 拡散希望 | Comments(0)

余命三年時事日記さんのブログです

http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/07/28/1097-%e5%b7%b7%e9%96%93%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88185%e3%80%80%e3%80%80/ 


引用


2. 身バレはもう覚悟の上で申し上げましょう。私の叔母の亭主、つまり叔父は公立高校の教師でした。
 過去形になっているのはもう亡くなられたからです。
ここに投稿されている有志の方の多くが、祖父が従軍した経験を持つ方らしいので、私と同じ団塊Jrの方が多いのでしょう。
だとしたら一番受験戦争が激しかった時代ですね。
 一言言っておきますが、皆様の中で、中学時代、教師に反抗的だった方や、担任に嫌われていた方で、公立高校の入試に落ちた人はいませんか?
それは、本当は学力では受かっていたものの、内申書によって落とされたのかも知れない、いや、意図的に落とされた可能性が極めて大なのです!
 偏差値テストで5回の平均偏差値が65なのに受験前の面談で教師から、偏差値60の高校も合格は厳しい、などと言われた方はいませんか?
(5教科500点満点のテストで、合計450点、1教科平均90点で偏差値65。合計400点、1教科平均80点で偏差値60と考えれば妥当です)
何故か平均偏差値より3低い学校を安全圏として受けたのに落ちてしまった、そして滑り止めの授業料の高い私立高校に行く羽目になった方で、過去問を見ながら、「どう考えてもこの答えは全部合ってるはずだ、論文で0点を付けられたのかな?」などと迷った方もいるでしょう。
当時は内申書というものは、入試で同位点者が複数いた場合、教師のつけた内申点で合格の可否を判断する、補助的資料のようなものだ、などという都市伝説がありました。
しかし、私が公立高校の教師だった叔父からはっきり聞いたことは、内申点というのは、公立受験の5教科の合計点に、‟自動的に加算される実質点数"なんです。
そして、その教師の感情や悪意で勝手に加算できる点数は500満点中、最大70点にも及びます。
 特に極めて悪質なのが、内申書の中にある評価書と呼ばれる担任のコメント欄です。
これは担任教師の一存でどんな嘘でも書ける生徒の素行・性格評価です。
教員だった叔父によると、これも実は点数化されており、県にもよりますが、20点から30点で加算されます。つまり、この評価書にただの過去の喧嘩を持ち出して「暴力事件を起こした、反社会的性格である、殺人未遂を起こした経緯あり」などと書かれたら、-30点、どころか入学自体が取り消しになります。
 何しろ、内申書は生徒の受験先の高校の校長への親展として送られ、受験先の校長が判断材料にするものですから(開封したら受験資格無効の密書です)。
まとめますと、内申点は受験において英語、数学、理科、社会、国語の5教科の合計に加算される立派な受験点数です。そして、上記5教科の他に保健体育(か家庭科)、体育、音楽、美術など4の項目を足した9科目、1教科5点、合計45点に「評価書」と呼ばれる、教師による一方的な人物査定評である「素行点」の20点~30点を足した70点から80点が公立中学教師の持つ裁量点になるわけです。そして一般教科9科目の5段階評価も、「提出物を期限内に出していない」「積極性がない」「遅刻欠席が多い」などの理由付けで3分の2は教師裁量で0評価を付けられます。
さらに残りの3分の1は実際の中間・期末テストの累積から付けられる評価ですが、中間・期末テストの3年間の平均が90点でも、「応用力がない」「テストの前後以外では質問に答えられない」などと言った悪質な判断で平均45点が妥当だろう、といった評価を付ける事も可能だそうです。
つまり、どんな優秀な生徒でも、日教組の教師の反感を買えば、内申点45点満点中9点しか貰えない。
さらに、これに評価書によるMAX30点のマイナス評価点が加算されるのです(つまり内申点+評価点80点の内、教師に嫌われた生徒に与えられるのは9点。合計すると、受験の際に実際に取った合計点数マイナス61~71点になります。偏差値65=受験点数450/500点が、-70=380/500点になるので、ここで3者面談における「平均偏差値65でも、ワンランク下の偏差値60の公立高校には受からない」などという公立教師の理論が出てくるわけです)。
 一方、共産党員の息子でPTA会長の盆暗息子が内申点40(実際の中間・期末テストの加算点から算出する評価がありますから、さすがにバカに45点はあげられません)、評価点30となったら、この盆暗が受験の際のテストで実質的に取った合計点数に、この70点が加算されます。この場合、5教科合計で350点取れば受験の際の試験点数は、500点満点中合計420点になります。偏差値55前後の人間が偏差値60の公立高校に受かるカラクリがここにあります。

3. 私の親友だったSは、中学時代、知能テストで全校3位、平均偏差値66。男気があり、日教組教師が「行く高校はない」と断言した不良生徒たちに勉強を教え、中学3年で分数もわからなかった彼らを全員私立校に入学させました。しかし彼の父親はS県警の公安課の刑事であり、彼の担任が共産党員で日教組の組合員であることも彼自身知っていた。そして意趣返しか、敵の子息だからか、三者面談で平均偏差値66の男が、偏差値55の公立高校に入学するのも難しい、などとその日教組の担任に言い渡されたのです。かつて、彼がいじめを止めようとして不良の一人と喧嘩になり、チョークスリーパーで顔中に血豆が浮かぶほど首を締めあげて気絶させてしまい、病院送りにしたことがありました。これを機に私の学年からはいじめがなくなったのですが、その教師は三者面談で「1年前に殺人未遂を起こしているし、こういった事も報告する義務がある」などと警官である彼の父親の前で述べたのです。まさに広島中学生自殺事件の主犯、日教組で共産党員である篠塚美代子と全く精神構造が同じ卑劣な教師でした。
 結局彼は反対を押し切って県で2位の公立高校(偏差値65)を受けましたが、日教組教師の目論み通り落ちて、滑り止めだった偏差値60未満の私立校に行きました。
しかし、これを機に、経済的なことも絡んで彼の家族仲は悪くなり、以後Sの人生は狂ってしまった。…将来は弁護士か政治家になるんじゃないかと思っていた彼が、今ではアル中になって、入退院を繰り返しているそうです。
このような人間が一体何人いるのでしょうか?
つまり、段階Jrの頃の日本はもう真の学歴社会ではなく、受験戦争もイカサマだったのです。
 身分に関わらず、有能な人材を登用した幕末の雄藩の藩主、教育による立身出世を可能にした明治の元勲方の作った教育制度は何だったのか?
…日教組はストライキなどを起こさないという条件を基に、各県の教育委員会に幹部を送り込んでいます。だからゆとり教育などという愚民化政策ができたのです。
 長くなりましたが、余命先生を現代の松陰先生と思う私の、最後の投稿だと思ってください。
そして、日教組の支配する教育(そして、慎太郎様がかつて投稿下さったように、現在日本の大学にどれだけ左翼や朝鮮人の教授が多いのでしょう?本当に異常です)、腐り切ったこの国の教育を立て直すために、「日教組・全教祖に乗っ取られた公立中学、公立高校の教師、とりわけ義務教育を支配している日教組の公立中学校教員による内申書・推薦書の発行権限の剥奪」「公立教師の組合活動を厳禁する事」そして、同位点による参考資料としてやむを得ず内申書、推薦書が使用される場合には、
「内申書の一般公開を実施し、第三者評価を踏まえて事実と異なる公私混同の評価を下した教師は教員免許を剥奪する」旨の官邸メールを是非追加してください。
どうか、お願い致します。


引用以上


   この体でいうと、私は担任に贔屓された方なんでしょう。得したというより、公平に対応して欲しかったと思います。まー、勘違いかもしれませんけどね。


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by kidokazu | 2016-07-29 16:48 | 教育 | Comments(0)

拡散希望!桜井誠演説

余命三年時事日記〜さんのブログです



引用

7月27日14時

豊洲ららぽーと前で

桜井誠都知事候補街頭演説①(抄録)*****

只今、ご紹介にあずかりました。都知事選挙に立候補致しております、桜井誠でございます。
台風の目になっているはずなんですけれども、ご覧の通り、メディアの取材はちっともございません。いつも通りでございます。メディアにトコトンまで嫌われいるんですね。
いやもうね、まいどまいどね、言っていますけれども、昨日ニュースに出ておりました。
主要3候補。NHKを除く、民放が流している主要3候補が、大体95%以上、放送時間でみると95%以上。詰まりね、21候補が今回は立候補しています。私も含めて。その21候補の内、TVメディア民放が伝えているのが、3候補、そして、その3候補が、実際に時間でみると95%以上の時間を使い、そして、残りの18人を5%以下で皆さんに紹介しております。
こんなフザケタ偏向報道やってりゃ、誰がどう考えたって、その3人から主要3候補と云われている連中から選ばれるのは決まっているでしょ。
しかしね、しかし、ここでですね、あの鳥越俊太郎がまったく同じこの場所で街宣をやったそうなんですよ。その時よりも、大勢の皆さんが、このららぽーと前に集まっております。(拍手)
ありがとうございます。
じゃ、皆さんにお尋ねします。皆さんはTVメディアで来たんですか?ラジオか何か、新聞か何かで、桜井誠、本日ららぽーと前で街宣やるとか云って書いてましたか。
ひとっこともそんなこと書いてないンですよ。つまり、ここに来ている人達は皆ね、そういったTVメディアではなく、ネットを介して、いろんな人から話を聴いて、そして、今日ここに集まっているはずなんですネ。勿論、メディアは強いです。何をどう言い繕うがですね。この主要3候補と云われている人達、この人達が恐らく、次の都知事には最も近い所にいるんでしょう。
しかし、これだけ大勢の人達が、そのメディアに騙されないで、こうやって、豊洲のららぽーとに。豊洲ですよ。ここ、そもそも。今日、平日なんですよ。平日のまっ昼間の豊洲。まず、ここに人が集まることはございません。
動員でもかけなければ集まる訳がないんですよ。
しかしながらね、皆さんもご存知の通り、私、動員かけたくても、お金がないんでね。お金頂けるならいくらでも頂きます。しかし、無いものは無いんです。あんまりね、こう云うことは威張って言うことじゃ無いんですけれどもね。
ここに、皆さんは自分の意志で私の話を聴きに、こうやって、来られているハズなんですヨ。
先程言ったね、メディアが垂れ流す3人、小池百合子候補、増田寛也候補、鳥越俊太郎候補。それぞれに、問題があります。
まず、鳥越俊太郎候補。
もう、これはね。女性問題で物凄いバッシングを浴びております。
お陰さまでね、こればっかりが原因ではないんでしょうけれども、先程言った通り、20代。産経新聞が報じた所では、20代に限って云えば、20代の男性ですか、に限って云えば、桜井の支持率が鳥越を越えていると。そのように報道がありました。(拍手)
ありがとうございます。
で、そればっかりではなくて、もう、鳥越俊太郎候補メチャクチャでしょ。
例えば、この間、大島に行ったんですよ。昨日ですか、で、その大島で何と言ったか?
消費税を、今10%、今8%ですか、今度、来年再来年あたりに10%になります。その消費税を半分にします。5%にしますと云う約束をしました。
こんなこと都知事にできる訳がないんですよ。
あのですね、消費税と云うのは、これ国政の問題なんですね、税金は。で、そして、その国政で決まった消費税を半分にするなんて云うことは都知事の権限で出来るワケが無いんです。
それを彼は云っているんですよ。
で、更に、ビックリしたのは、東京を中心として半径250キロ以内から、原発をね、全部無くす、全部止めると。
これね、東京から250キロと云うのは、もう、略、東日本を含んでしまうンですよ。東京都知事に、一体どんな権限があったらね、東京都以外の。
あの、因みに云っておきますけれども、東京都内には一つと云えども原発はありません。
しかし、その原発から最もね、最も電力需要を賄っているのはどこですか。この東京なんですよ。
だからね、東京都民であれば、東京都を代表する人間であれば、たとえどんなにね、どんなに批判があっても、どんなに危険だと云われても、今はね、どうしても原発が必要だと(言えなきゃいけない。)
そこで、私ね、以前皆さんにお伝えしましたけれども、私は、原発は原発再稼働派なんです。
だからと言って、原発を作れとは云っていないんですよ。
今ある原発を仮に止めたとします。止めても、そこから、じゃプルトニウムをどうやって保管するか?
プルトニウムの半減期2万年ですよ。
どうするんですコレ。
何かスイッチでも押せば、直ぐに、止まると思っている、そういう人達があまりにも多いんですよ。
要するに、皆さんは、反原発を訴えている連中のデタラメな情報を流されて、そして、その情報に踊らされているダケなんです。
冷静に考えれば、もう原発は一回稼働した以上、止まらないと。
だからアメリカになんか行きますとね。ネバダ州の砂漠の地下の地下まで掘って、そして、そこにですね。プルトニウム等の燃料物質を保管すると。何万年も、これが出来るんですよ。アメリカであれば。
じゃ日本でそれが出来るかと云えば、大体残念ながら、現時点では出来ません。出来ない以上、これを稼働させなきゃ、モッタイナイではと、言っているんです。
そして、その中でね、原発の中でも、例えばですね、活断層の真上に建っているとか、そういう危険なね、原発については、止めるべきだと、私も思います。しかし、例えばですけれども、福島で起きたあの原発事故、あの原発事故で、事故を起こしたのはアメリカ製なんです。
これをね、知らない人が余りにも多すぎるんですよ。
その直ぐ上にある女川と云う所があるんです。ね、その女川原発。同じように津波の被害を受けて、地震の被害を受けましたけれども、日本製の女川原発はビクともしておりませんでした。
このようにね、アメリカ製の原発が危険なんだから、福島の原発を止めると云うのは分かりますけれども、だからと云って、日本全国にある原発を止めようと、全部無くしてしまえと云うのは、暴論極まりない行為なんですヨ。(そうだ)
****以上

(承前)
桜井誠都知事候補街頭演説の抄録続きです。
7月27日14時豊洲ららぽーと前で桜井誠都知事候補街頭演説②(抄録)*****
そして、増田寛也候補。先程、言った通りです。ね。この人ですね、移民受け入れ賛成なんですよ。
で、外国人参政権も認めましょう。
更に、この人、岩手県知事でございました。
岩手県知事時代に、韓国、韓国人について、日本はかって韓国に対して、酷いことやったと。
どんな酷いことやったか、是非、教えて頂きたいんですけどね。
酷いことやったんだから、日本はね、我慢すべき、償うべきだと言ったのが、この増田寛也候補です。(ふざけるな)
先程、言った通り、どんな酷いことをやったのか、韓国人に対して。
人口2倍にしたことですか?
寿命2倍にしたことですか?
或いはね、穀物生産力が2倍にしたことですか?
近代化したことですか?

結局の所ね、日本人が、かって、植民地時代に、ま、彼らが云う所のですね、植民地時代に、併合時代に、韓国を近代化させ、寿命を2倍に伸ばし。
寿命が2倍に伸びたと云うことは、近代医療を持ち込み、そして、乳児死亡率を劇的に低下させたんですよ。
それ以外に、この説明がつかないんですね。(その通り)
そして、穀物生産高、人間が食べるお米の量を2倍に増やしております。
これだけのことを、併合時代に、日本は朝鮮半島にしてやったワケです。
別にね、朝鮮人にね、朝鮮人に、日本人はあんな良いこともやった。こんな良いこともやった。なんてね、恩着せがましく云う積もりは無いんですヨ。日本人としては。
しかしね、なんでもかんでも、全て日本が悪いと云う、あの韓国人たちの反日言動に対しては、我々は、主張すべき点は、絶対に、主張しなければいけないんです。(拍手、その通り)
当たり前じゃないですか、皆さん。
これはね、もし本当に、日本人がね、朝鮮人を虐待しました。虐殺しましたと云うんであればね、謝罪をしなければいかんと思いますけれども。
人口が2倍になったんですよ。
李朝末期にね、1千3百万人しかいなかったはずの朝鮮人が、1944年度の統計では、何と、2千5百万人を越えている。倍に増えているんですよ。

これね。どう解釈すればいいんですか?
我々は、朝鮮人のために、我々のご先祖さん達は朝鮮人のためにね、自分達の食うものさえも与えているんですよ。
例えばですけれども、人頭税と云うものがありますよね。人頭税と云うのはイギリスが植民地に必ず課していたと。これ、何かと云うと、生まれたばかりの赤ん坊も、後幾ばくもないお年寄りも、全部同じく1人当たり幾らですよと、その税金を払いなさいと云うのが、人頭税です。
しかし、日本は、この人頭税を課していないんですヨ。朝鮮半島に。
それどころが、酒税に関して云えば、あのですね、お酒ですね。朝鮮人達が飲むのはマッコリと云う日本で云うドブロクです。そのマッコリ、朝鮮半島で買った場合と、日本で買った場合、当時、今から70年前、100年前の話です。日本で買う方が朝鮮半島で買うよりも高かったんですよ。
どういうことかというと、朝鮮総督府が朝鮮半島における酒税、税金を半分にしたんです。この為に、日本で買うマッコリは高かった。ドブロクの方が高かったんですね。
どこの世界にね、どこの世界に、虐待し収奪した人間が、収奪した国が、その国の税金を安くするなんてバカな国がありますか、無いんですヨ。

そのね、一つ一つを見て行けば、韓国に、かっての韓国、朝鮮半島に、日本が酷いことをしたなどと云うのは、虚構以外の何ものでもありません。(そうだ、拍手)

*****以上。

引用以上


   何故か、厚塗りおばさんについてはカットされていますが、正論ですね。

    私には都知事選挙の投票権は有りませんが、誰に1票を投じるかと問われれば、間違いなく桜井誠氏に投じます。彼が当選する可能性が低いから、ベストの桜井誠ではなく、ベターの厚塗りお嬢様にしようという意見も保守系ブログではあります。それも一理あると思いますが、投票と言うものは自分が当選させたいと思う人を選ぶものだという大原則を忘れてはいけないと思います。


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by kidokazu | 2016-07-29 15:41 | 拡散希望 | Comments(0)

白い革命

余命三年時事日記さんのブログです

http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/ 


引用

 以下、間接侵略、白い革命の4本柱です。
① 侵略対象国家(以下対象国)の教育機関に左派勢力を送り込んで組織化し、敵性国民の思想の反政府化、学力の弱体化工作を実行する(←日本では日教組・全教祖)
② 対象国の司法機関に左派勢力を送り込んで組織化し、人権の過剰擁護による治安崩壊工作を実行する。※これによって対象国民は既存の国家機関や政府を信用しなくなり、国家と一般国民の間に離間を生じさせることができる
(←日本では日弁連や法務省人権擁護局)
③ 左派勢力の浸透によるマスメディアの掌握による対象国民の洗脳(電通や左翼ジャーナリスト・在日プロデューサーらによる組織的なメディア乗っ取りは、共産勢力と戦後から一貫して共闘している在日朝鮮人を中心に完全に完了していますね)
④ コミンテルンの工作員を対象国議会に送り込み、①~③の連携と美辞麗句を駆使して、合法的にコミンテルン(東アジアでは中共を軸とした特亜3国ですね)の傀儡政権を樹立させる。そして共産主義国に国富を貢ぎ、治外法権制も認めさせる法改正を乱発させ、侵略対象国(日本)の金も人権も奪い実質衛星国にしていく(←言わずもがな、元民主党、現ミンシン党です)

引用以上

   教育機関、司法機関、広報機関、立法機関、以上の機関に工作員を送り込む。これが白い革命ですね。何故「白」なんだろう?

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by kidokazu | 2016-07-29 14:49 | 拡散希望 | Comments(0)

30位

博士の独り言||〜さんのブログです


今日は30位です

1日も早いご回復をお祈り申し上げます

拡散希望します

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by kidokazu | 2016-07-27 16:17 | 拡散希望 | Comments(0)

チベット解放

中韓を知りすぎた男〜さんのブログです


引用


中国は突然軍隊を持たないチベットに侵入した。その結果百万人以上のチベット人が殺され、6千以上あった寺院をことごとく破壊し、焼き払い、仏教僧を血祭りにあげ、尼僧を強姦した。書籍、芸術品などほとんどが破壊し尽され、多くの民衆が手足を切断され、焼かれ、言葉を奪い、中国語を無理やり強制した。

これは誇張でも何でもない、現代チベットにおいて繰り広げられた事実が大虐殺と文化の抹殺でした。米人のマイケル・ダナム氏が7年の歳月をかけてチベットにおける中国の侵略の実態を暴いています。彼は「それはさながらこの世の地獄だった」と述べています。

毛沢東はチベットの植民地化を目的として大軍を投入して占領化政策を推し進めました。その凄まじいやり方は人間の所業だとはとても思えない。

毛沢東は「チベットを支配するにはまず、仏教と仏教指導者を徹底的に滅ぼ
せ」と指示して仏教文化、文明の根こそぎの破壊には身の毛がよだちます。

この時のリーダーは胡錦濤です。彼はこの実績により中国国家主席になっています。中国を発展させ、日本や欧米に評価されている鄧小平も「我々に逆らうものはたとえ1千万人だろうと殺す」と宣言して、天安門広場から広がった民主化運動を徹底弾圧して、民衆に向け容赦なく銃弾を発射し戦車で学生をひき殺しています。これが中国であり中国人の正体です。


引用以上

   中国人と共産主義という最悪のカップリングが、チベットに何をもたらしたのか?


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by kidokazu | 2016-07-27 15:33 | 中華人民共和国 | Comments(0)

通州事件

ねずさんのブログです


    以下は、中国人男性と結婚して中国人として通州で生活していた女性の手記です。
    ​ねずさんは18禁にしています。

引用



そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。
十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。
その娘さんを引き出して来たのは学生でした。
そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。

その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。
体はぶるぶると震えておりました。
その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。
そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。

保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か殴りつけました。
そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。
支那でも七月と言えば夏です。暑いです。
薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。

すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。
娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。
しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。

娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。
学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。
そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。

学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。
そして下着を取ってしまいました。
娘さんは「助けてー」と叫びました。
と、そのときです。

一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。
そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。

恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。
すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。
何かグシャッというような音が聞こえたように思います。
頭が割られたのです。

でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。
保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。
娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。
この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。

パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。
そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。
服が破けます。
肌が出ます。
血が流れます。
そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。

そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。
血がパーッと飛び散ります。
その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。

腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。
それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。
又腹を突きます。
胸を突きます。
何回も何回も突き刺すのです。

沢山の支那人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。
この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。

その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。
暴虐無惨と申しましょうか。
あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。

この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。
この娘さんは既に全裸になされております。
そして恐怖のために動くことが出来ないのです。
その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。
そして陵辱をはじめようとするのです。

支那人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、これはもう人間のすることとは言えません。
ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。
どうしても陵辱がうまく行かないのです。

すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。
そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。
こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。

ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私とTさんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。

私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。
目をしっかりつぶっておりました。
するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。
私は思わずびっくりして目を開きました。

するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。
何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。
その私の身体をTさんがしっかり抱きしめてくれました。
見てはいけない。
見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。

ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。
それから剣で首を切り落としたのです。
その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。

投げられた首は地面をゴロゴロと転がって男の人の屍体の側で止まったのです。
若しこの男の人がこの娘さんの親であるなら、親と子がああした形で一緒になったのかなあと私の頭のどこかで考えていました。

そしてそれはそれでよかったのだと思ったのです。
しかしあの残虐極まりない状況を見ながら何故あんなことを考えたのか私にはわかりませんでした。
そしてこのことはずーっとあとまで私の頭の中に残っていた不思議のことなのです。

私は立っていることが出来ない程疲れていました。
そして身体は何か不動の金縛りにされたようで動くことが出来ません。
この残虐行為をじっと見つめていたのです。
腹を切り裂かれた娘さんのおなかからはまだゆっくり血が流れ出しております。
そしてその首はないのです。

何とも異様な光景です。
想像も出来なかった光景に私の頭は少し狂ってしまったかも知れません。
ただこうした光景を自分を忘れてじっと見ているだけなのです。
そうしたときTさんが「おい」と抱きしめていた私の身体を揺すりました。

私はハッと自分にかえりました。
すると何か私の胃が急に痛み出しました。
吐き気を催したのです。

 *

道端にしゃがみ込んで吐こうとするけれど何も出てきません。
Tさんが私の背を摩ってくれるけれど何も出て来ないのです。
でも胃の痛みは治まりません。「うーん」と唸っているとTさんが「帰ろうか」と言うのです。

私は家に早く帰りたいと思いながら首は横に振っていたのです。
怖いもの見たさという言葉がありますが、このときの私の気持ちがこの怖いもの見たさという気持ちだったかも知れません。

私が首を横に振るのでTさんは仕方なくでしょう私の身体を抱きながら日本人居留区の方に近付いて行ったのです。
私の頭の中はボーとしているようでしたが、あの残酷な光景は一つ一つ私の頭の中に刻みつけられたのです。

私はTさんに抱きかかえられたままでしたが、このことが異様な姿の学生や保安隊の兵隊達から注目されることのなかった大きな原因ではないかと思われるのです。
若し私がTさんという人と結婚はしていても日本人だということがわかったら、きっと学生や兵隊達は私を生かしてはいなかった筈なのです。

しかし支那人のTさんに抱きかかえられてよぼよぼと歩く私の姿の中には学生や兵隊達が注目する何ものもなかったのです。
だから黙って通してくれたと思います。

日本人居留区に行くともっともっと残虐な姿を見せつけられました。
殆どの日本人は既に殺されているようでしたが、学生や兵隊達はまるで狂った牛のように日本人を探し続けているのです。

あちらの方で「日本人がいたぞ」という大声で叫ぶものがいるとそちらの方に学生や兵隊達がワーッと押し寄せて行きます。
私もTさんに抱きかかえられながらそちらに行ってみると、日本人の男の人達が五、六名兵隊達の前に立たされています。

そして一人又一人と日本の男の人が連れられて来ます。
十名程になったかと思うと学生と兵隊達が針金を持って来て右の手と左の手を指のところでしっかりくくりつけるのです。

そうして今度は銃に付ける剣を取り出すとその男の人の掌をグサッと突き刺して穴を開けようとするのです。
痛いということを通り越しての苦痛に大抵の日本の男の人達が「ギャーッ」と泣き叫ぶのです。
とても人間のすることではありません。
悪魔でもこんな無惨なことはしないのではないかと思いますが、支那の学生や兵隊はそれを平気でやるのです。
いや悪魔以上というのはそんな惨ったらしいことしながら学生や兵隊達はニタニタと笑っているのです。

日本人の常識では到底考えられないことですが、日本人の常識は支那人にとっては非常識であり、その惨ったらしいことをすることが支那人の常識だったのかと初めてわかりました。
集められた十名程の日本人の中にはまだ子供と思われる少年もいます。
そして六十歳を越えたと思われる老人もいるのです。

支那では老人は大切にしなさいと言われておりますが、この支那の学生や兵隊達にとっては日本の老人は人間として扱わないのでしょう。
この十名近くの日本の男の人達の手を針金でくくり、掌のところを銃剣で抉りとった学生や兵隊達は今度は大きな針金を持って来てその掌の中に通すのです。
十人の日本の男の人が数珠繋ぎにされたのです。
こうしたことをされている間日本の男の人達も泣いたり喚いたりしていましたが、その光景は何とも言い様のない異様なものであり、五十年を過ぎた今でも私の頭の中にこびりついて離れることが出来ません。

そしてそれだけではなかったのです。
学生と兵隊達はこの日本の男の人達の下着を全部取ってしまったのです。
そして勿論裸足にしております。
その中で一人の学生が青竜刀を持っておりましたが、二十才前後と思われる男のところに行くと足を拡げさせました。

そしてその男の人の男根を切り取ってしまったのです。
この男の人は「助けてー」と叫んでいましたが、そんなことはお構いなしにグサリと男根を切り取ったとき、この男の人は「ギャッ」と叫んでいましたがそのまま気を失ったのでしょう。

でも倒れることは出来ません。
外の日本の男の人と数珠繋ぎになっているので倒れることが出来ないのです。
学生や兵隊達はそんな姿を見て「フッフッ」と笑っているのです。

私は思わずTさんにしがみつきました。
Tさんも何か興奮しているらしく、さっきよりももっとしっかり私の身体を抱いてくれました。

そして私の耳元でそっと囁くのです。
「黙って、ものを言ったらいかん」と言うのです。
勿論私はものなど言える筈もありませんから頷くだけだったのです。

そして私とTさんの周囲には何人もの支那人達がいました。
そしてこうした光景を見ているのですが、誰も何も言いません。
氷のような表情というのはあんな表情でしょうか。

兵隊や学生達がニタニタと笑っているのにこれを見守っている一般の支那人は全く無表情で只黙って見ているだけなのです。
しかしようもまあこんなに沢山支那人が集まったものだなあと思いました。
そして沢山集まった支那人達は学生や兵隊のやることを止めようともしなければ兵隊達のようにニタニタするでもなし、只黙って見ているだけです。

勿論これはいろんなことを言えば同じ支那人ではあっても自分達が何をされるかわからないという恐れもあってのことでしょうが、全くこうした学生や兵隊のすることを氷のように冷ややかに眺めているのです。

これも又異様のこととしか言いようがありません。
こんな沢山集まっている支那人達が少しづつ移動しているのです。
この沢山の人の中には男もいます。
女もいます。
私もその支那人達の女の一人としてTさんと一緒に人の流れに従って日本人居留区の方へ近付いたのです。

日本人居留区に近付いてみるといよいよ異様な空気が感ぜられます。
旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行ったときです。
日本の女の人が二人保安隊の兵隊に連れられて出て来ました。

二人とも真っ青な顔色でした。
一人の女の人は前がはだけておりました。この女の人が何をされたのか私もそうした商売をしておったのでよくわかるのです。

しかも相当に乱暴に扱われたということは前がはだけている姿でよくわかったのです。
可哀想になあとは思ってもどうすることも出来ません。
どうしてやることも出来ないのです。
言葉すらかけてやることが出来ないのです。

二人の女の人のうちの一人は相当頑強に抵抗したのでしょう。
頬っぺたがひどく腫れあがっているのです。
いやその一部からは出血さえしております。
髪はバラバラに乱れているのです。
とてもまともには見られないような可哀想な姿です。

その二人の女の人を引っ張って来た保安隊の兵隊は頬っぺたの腫れあがっている女の人をそこに立たせたかと思うと着ているものを銃剣で前の方をパッと切り開いたのです。
女の人は本能的に手で前を押さえようとするといきなりその手を銃剣で斬りつけました。
左の手が肘のところからばっさり切り落とされたのです。

しかしこの女の人はワーンともギャーッとも言わなかったのです。
只かすかにウーンと唸ったように聞こえました。
そしてそこにバッタリ倒れたのです。

すると保安隊の兵隊がこの女の人を引きずるようにして立たせました。
そして銃剣で胸のあたりを力一杯突き刺したのです。

この女の人はその場に崩れ落ちるように倒れました。
すると倒れた女の人の腹を又銃剣で突き刺すのです。
私は思わず「やめてー」と叫びそうになりました。
その私をTさんがしっかり抱きとめて「駄目、駄目」と耳元で申すのです。

私は怒りと怖さで体中が張り裂けんばかりでした。
そのうちにこの女の人を五回か六回か突き刺した兵隊がもう一人の女の人を見てニヤリと笑いました。
そしていきなりみんなが見ている前でこの女の人の着ているものを剥ぎ取ってしまったのです。
そしてその場に押し倒したかと思うとみんなの見ている前で陵辱をはじめたのです。

人間の行為というものはもっと神聖でなくてはならないと私は思っています。
それが女の人を保安隊の兵隊が犯している姿を見ると、何といやらしい、そして何と汚らわしいものかと思わずにはおられませんでした。

一人の兵隊が終わるともう一人の兵隊がこの女の人を犯すのです。
そして三人程の兵隊が終わると次に学生が襲いかかるのです。
何人もの何人もの男達が野獣以上に汚らわしい行為を続けているのです。

私はTさんに抱きかかえられながらその姿を遠い夢の中の出来事のような思いで見続けておりました。
それが支那の悪獣どもが充分満足したのでしょう。
何人か寄っていろいろ話しているようでしたが、しばらくすると一人の兵隊が銃をかまえてこの女の人を撃とうとしたのです。

さすがに見ていた多くの支那人達がウォーという唸るような声を出しました。
この多くの支那人の唸りに恐れたのか兵隊二人と学生一人でこの女の人を引きずるように旭軒の中に連れ去りました。

そしてしばらくするとギャーという女の悲鳴が聞こえて来たのです。
恐らくは連れて行った兵隊と学生で用済みになったこの日本の女の人を殺したものと思われます。
しかしこれを見ていた支那人達はどうすることも出来ないのです。
私もTさんもどうすることも出来ないのです。

もうこんなところにはいたくない。
家に帰ろうと思ったけれどTさんが私の身体をしっかり抱いて離さないので、私はTさんに引きずられるように日本人居留区に入ったのです。

そこはもう何というか言葉では言い表されないような地獄絵図でした。
沢山の日本人が殺されています。
いやまだ殺され続けているのです。
あちこちから悲鳴に似たような声が聞こえたかと思うと、そのあとに必ずギャーッという声が聞こえて来ます。

そんなことが何回も何十回も繰り返されているのでしょう。
私は聞くまいと思うけど聞こえて来るのです。
耳を覆ってみても聞こえるのです。

又私が耳を覆っているとTさんがそんなことをしたらいけないというようにその覆った手を押さえるのです。
旭軒と近水槽の間にある松山槽の近くまで来たときです。
一人のお婆さんがよろけるように逃げて来ております。

するとこのお婆さんを追っかけてきた学生の一人が青竜刀を振りかざしたかと思うといきなりこのお婆さんに斬りかかって来たのです。
お婆さんは懸命に逃げようとしていたので頭に斬りつけることが出来ず、左の腕が肩近くのところからポロリと切り落とされました。
お婆さんは仰向けに倒れました。
学生はこのお婆さんの腹と胸とを一刺しづつ突いてそこを立ち去りました。

誰も見ていません。
私とTさんとこのお婆さんだけだったので、私がこのお婆さんのところに行って額にそっと手を当てるとお婆さんがそっと目を開きました。

そして、「くやしい」と申すのです。
「かたきをとって」とも言うのです。

私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました。
「いちぞう、いちぞう」
と人の名を呼びます。

きっと息子さんかお孫さんに違いありません。
私は何もしてやれないので只黙って額に手を当ててやっているばかりでした。
するとこのお婆さんが「なんまんだぶ」と一声お念仏を称えたのです。
そして息が止まったのです。

私が西本願寺の別府の別院におまいりするようになったのはやはりあのお婆さんの最期の一声である「なんまんだぶ」の言葉が私の耳にこびりついて離れなかったからでしょう。
そうしてお婆さんの額に手を当てていると、すぐ近くで何かワイワイ騒いでいる声が聞こえて来ます。

Tさんが私の身体を抱きかかえるようにしてそちらの方に行きました。
すると支那人も沢山集まっているようですが、保安隊の兵隊と学生も全部で十名ぐらい集まっているのです。そこに保安隊でない国民政府軍の兵隊も何名かいました。
それがみんなで集まっているのは女の人を一人連れ出して来ているのです。

何とその女の人はお腹が大きいのです。
七ヶ月か八ヶ月と思われる大きなお腹をしているのです。
学生と保安隊の兵隊、それに国民政府軍の正規の兵隊達が何かガヤガヤと言っていましたが、家の入り口のすぐ側のところに女の人を連れて行きました。

この女の人は何もしゃべれないのです。
恐らく恐怖のために口がきけなくなっていることだろうと思うのですが、その恐怖のために恐れおののいている女の人を見ると、女の私ですら綺麗だなあと思いました。

ところが一人の学生がこの女の人の着ているものを剥ぎ取ろうとしたら、この女の人が頑強に抵抗するのです。
歯をしっかり食いしばっていやいやを続けているのです。
学生が二つか三つかこの女の人の頬を殴りつけたのですが、この女の人は頑強に抵抗を続けていました。
そしてときどき「ヒーッ」と泣き声を出すのです。

兵隊と学生達は又集まって話し合いをしております。
妊娠をしている女の人にあんまり乱暴なことはするなという気運が、ここに集まっている支那人達の間にも拡がっておりました。
とそのときです。
一人の日本人の男の人が木剣を持ってこの場に飛び込んで来ました。
そして「俺の家内と子供に何をするのだ。やめろ」と大声で叫んだのです。

これで事態が一変しました。
若しこの日本の男の人が飛び込んで来なかったら、或いはこの妊婦の命は助かったかも知れませんが、この男の人の出現ですっかり険悪な空気になりました。
学生の一人が何も言わずにこの日本の男の人に青竜刀で斬りつけました。

するとこの日本の男の人はひらりとその青竜刀をかわしたのです。
そして持っていた木刀でこの学生の肩を烈しく打ちました。
学生は「ウーン」と言ってその場に倒れました。
すると今度はそこにいた支那国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊が、鉄砲の先に剣を付けてこの日本の男の人に突きかかって来ました。

私は見ながら日本人頑張れ、日本人頑張れと心の中に叫んでいました。
しかしそんなことは口には絶対に言えないのです。
七名も八名もの支那の兵隊達がこの男の人にジリジリと詰め寄って来ましたが、この日本の男の人は少しも怯みません。

ピシリと木刀を青眼に構えて一歩も動こうとしないのです。
私は立派だなあ、さすがに日本人だなあと思わずにはおられなかったのです。

ところが後ろに回っていた国民政府軍の兵隊が、この日本の男の人の背に向かって銃剣でサッと突いてかかりました。
するとどうでしょう。
この日本の男の人はこれもひらりとかわしてこの兵隊の肩口を木刀で烈しく打ったのです。
この兵隊も銃を落としてうずくまりました。

でもこの日本の男の人の働きもここまででした。
この国民政府軍の兵隊を烈しく日本の男の人が打ち据えたとき、よこにおった保安隊の兵隊がこの日本の男の人の腰のところに銃剣でグサリと突き刺したのです。

日本の男の人が倒れると、残っていた兵隊や学生達が集まりまして、この男の人を殴る蹴るの大乱暴を始めたのです。
日本の男の人はウーンと一度唸ったきりあとは声がありません。

これは声が出なかったのではなく出せなかったのでしょう。
日本の男の人はぐったりなって横たわりました。

それでも支那の兵隊や学生達は乱暴を続けております。
そしてあの見るも痛ましい残虐行為が始まったのです。
それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。

私はあんな残酷な光景は見たことはありません。
これはもう人間の行為ではありません。
悪魔の行為です。
悪魔でもこんなにまで無惨なことはしないと思うのです。

頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。
このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。
目玉を抉り取ると、今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。

縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。
ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。
人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。
十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。

私はTさんにすがりついたままです。
何か別の世界に引きずり込まれたような感じでした。
地獄があるとするならこんなところが地獄だろうなあとしきりに頭のどこかで考えていました。

そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。

そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。
一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。
このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。

その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。
残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。
そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。

しかし見ていた支那人の中でこの細切れの腸を拾おうとするものは一人もおりませんでした。
この兵隊や学生達はもう人間ではないのです。
野獣か悪魔か狂竜でしかないのです。

そんな人間でない連中のやることに、流石に支那人達は同調することは出来ませんでした。
まだ見物している支那人達は人間を忘れてはいなかったのです。
そして細切れの腸をあちらこちらに投げ散らした兵隊や学生達は、今度は気を失って倒れている妊婦の方に集まって行きました。

この妊婦の方はすでにお産が始まっていたようであります。
出血も始まったのしょう。兵隊達も学生達もこんな状況に出会ったのは初めてであったでしょうが、さっきの興奮がまだ静まっていない兵隊や学生達はこの妊婦の側に集まって、何やらガヤガヤワイワイと申しておったようですが、どうやらこの妊婦の人の下着を取ってしまったようです。

そしてまさに生まれようと準備をしている赤ん坊を引き出そうとしているらしいのです。
学生や兵隊達が集まってガヤガヤ騒いでいるのではっきりした状況はわかりませんが、赤ん坊を引き出すのに何か針金のようなものを探しているようです。

とそのときこの妊婦の人が気がついたのでしょう。
フラフラと立ち上がりました。
そして一生懸命逃げようとしたのです。
見ていた支那人達も早く逃げなさいという思いは持っているけれど、それを口に出すものはなく、又助ける人もありません。さっきのこの妊婦の主人のように殺されてしまうことが怖いからです。

このフラフラと立ち上がった妊婦を見た学生の一人がこの妊婦を突き飛ばしました。
妊婦はバッタリ倒れたのです。
すると兵隊が駆け寄って来て、この妊婦の人を仰向けにしました。
するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。

しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。
国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。
私は何をするのだろうかと思いました。
そして一生懸命、同じ人間なんだからこれ以上の悪いことはしてくれないようにと心の中で祈り続けました。

だが支那人の兵隊にはそんな人間としての心の欠片もなかったのです。
剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。

赤い血がパーッと飛び散りました。
私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。

実際には数十メートルも離れておったから、血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの血潮の飛び散りはもの凄いものでした。
妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でしたが、あんなことがよく出来るなあと思わずにはおられません。
お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。

そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。

ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。
赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。

あまりの無惨さに集まっていた支那人達も呆れるようにこの光景を見守っておりましたが、兵隊と学生が立ち去ると、一人の支那人が新聞紙を持って来て、その新聞紙でこの妊婦の顔と抉り取られたお腹の上をそっと覆ってくれましたことは、たった一つの救いであったように思われます。

こうした大変な出来事に出会い、私は立っておることも出来ない程に疲れてしまったので、家に帰りたいということをTさんに申しましたら、Tさんもそれがいいだろうと言って二人で家の方に帰ろうとしたときです。

「日本人が処刑されるぞー」
と誰かが叫びました。この上に尚、日本人を処刑しなくてはならないのかなあと思いました。
しかしそれは支那の学生や兵隊のやることだからしょうがないなあと思ったのですが、そんなものは見たくなかったのです。

私は兎に角家に帰りたかったのです。でもTさんが行ってみようと言って私の体を日本人が処刑される場所へと連れて行ったのです。

このときになって私はハッと気付いたことがあったのです。それはTさんが支那人であったということです。
そして私は結婚式までしてTさんのお嫁さんになったのだから、そののちは支那人の嫁さんだから私も支那人だと思い込んでいたのです。

そして商売をしているときも、一緒に生活をしているときも、この気持ちでずーっと押し通して来たので、私も支那人だと思うようになっていました。
そして早く本当の支那人になりきらなくてはならないと思って今日まで来たのです。

そしてこの一、二年の間は支那語も充分話せるようになって、誰が見ても私は支那人だったのです。実際Tさんの新しい友人はみんな私を支那人としか見ていないのです。
それで支那のいろいろのことも話してくれるようになっておりました。

それが今目の前で日本人が惨ったらしい殺され方を支那人によって行われている姿を見ると、私には堪えられないものが沸き起こって来たのです。
それは日本人の血と申しましょうか、日本人の感情と申しましょうか、そんなものが私を動かし始めたのです。

それでもうこれ以上日本人の悲惨な姿は見たくないと思って家に帰ろうとしたのですが、Tさんはやはり支那人です。
私の心は通じておりません。

そんな惨いことを日本人に与えるなら私はもう見たくないとTさんに言いたかったのですが、Tさんはやはり支那人ですから私程に日本人の殺されることに深い悲痛の心は持っていなかったとしか思われません。

家に帰ろうと言っている私を日本人が処刑される広場に連れて行きました。
それは日本人居留区になっているところの東側にあたる空き地だったのです。
そこには兵隊や学生でない支那人が既に何十名か集まっていました。
そして恐らく五十名以上と思われる日本人でしたが一ヶ所に集められております。
ここには国民政府軍の兵隊が沢山おりました。
保安隊の兵隊や学生達は後ろに下がっておりました。

集められた日本人の人達は殆ど身体には何もつけておりません。
恐らく国民政府軍か保安隊の兵隊、又は学生達によって掠奪されてしまったものだと思われます。
何も身につけていない人達はこうした掠奪の被害者ということでありましょう。
そのうち国民政府軍の兵隊が何か大きな声で喚いておりました。
すると国民政府軍の兵隊も学生もドーッと後ろの方へ下がってまいりました。
するとそこには二挺の機関銃が備えつけられております。
私には初めて国民政府軍の意図するところがわかったのです。
五十数名の日本の人達もこの機関銃を見たときすべての事情がわかったのでしょう。

みんなの人の顔が恐怖に引きつっていました。
そして誰も何も言えないうちに機関銃の前に国民政府軍の兵隊が座ったのです。
引き金に手をかけたらそれが最期です。
何とも言うことの出来ない戦慄がこの広場を包んだのです。そのときです。
日本人の中から誰かが「大日本帝国万歳」と叫んだのです。
するとこれに同調するように殆どの日本人が「大日本帝国万歳」を叫びました。
その叫び声が終わらぬうちに機関銃が火を噴いたのです。

バタバタと日本の人が倒れて行きます。
機関銃の弾丸が当たると一瞬顔をしかめるような表情をしますが、しばらくは立っているのです。
そしてしばくしてバッタリと倒れるのです。
このしばらくというと長い時間のようですが、ほんとは二秒か三秒の間だと思われます。

しかし見ている方からすれば、その弾丸が当たって倒れるまでにすごく長い時間がかかったように見受けられるのです。
そして修羅の巷というのがこんな姿であろうかと思わしめられました。

兎に角何と言い現してよいのか、私にはその言葉はありませんでした。
只呆然と眺めているうちに機関銃の音が止みました。
五十数名の日本人は皆倒れているのです。
その中からは呻き声がかすかに聞こえるけれど、殆ど死んでしまったものと思われました。

ところがです。その死人の山の中に保安隊の兵隊が入って行くのです。
何をするのだろうかと見ていると、機関銃の弾丸で死にきっていない人達を一人一人銃剣で刺し殺しているのです。

保安隊の兵隊達は、日本人の屍体を足で蹴りあげては生死を確かめ、一寸でも体を動かすものがおれば銃剣で突き刺すのです。
こんなひどいことがあってよいだろうかと思うけれどどうすることも出来ません。
全部の日本人が死んでしまったということを確かめると、国民政府軍の兵隊も、保安隊の兵隊も、そして学生達も引き上げて行きました。

するとどうでしょう。
見物しておった支那人達がバラバラと屍体のところに走り寄って行くのです。
何をするのだろうと思って見ていると、屍体を一人一人確かめながらまだ身に付いているものの中からいろいろのものを掠奪を始めたのです。

これは一体どういうことでしょう。
私には全然わかりません。
只怖いというより、こんなところには一分も一秒もいたくないと思ったので、Tさんの手を引くようにしてその場を離れました。

もう私の頭の中は何もわからないようになってしまっておったのです。
私はもう町の中には入りたくないと思って、Tさんの手を引いて町の東側から北側へ抜けようと思って歩き始めたのです。

私の家に帰るのに城内の道があったので、城内の道を通った方が近いので北門から入り近水槽の近くまで来たときです。
その近水槽の近くに池がありました。
その池のところに日本人が四、五十人立たされておりました。

あっ、またこんなところに来てしまったと思って引き返そうとしましたが、何人もの支那人がいるのでそれは出来ません。
若し私があんんなもの見たくないといって引き返したら、外の支那人達はおかしく思うに違いありません。

国民政府軍が日本人は悪人だから殺せと言っているし、共産軍の人達も日本人殺せと言っているので、通州に住む殆どの支那人が日本は悪い、日本人は鬼だと思っているに違いない。

そんなとき私が日本人の殺されるのは見ていられないといってあの場を立ち去るなら、きっと通州に住んでいる支那人達からあの人はおかしいではないかと思われる。
Tさんまでが変な目で見られるようになると困るのです。

それでこの池のところで又ジーッと、これから始まるであろう日本人虐殺のシーンを見ておかなくてはならないことになってしまったのです。
そこには四十人か五十人かと思われる日本人が集められております。
殆どが男の人ですが、中には五十を越したと思われる女の人も何人かおりました。

そしてそうした中についさっき見た手を針金で括られ、掌に穴を開けられて大きな針金を通された十人程の日本人の人達が連れられて来ました。
国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊、それに学生が来ておりました。

そして一番最初に連れ出された五十才くらいの日本人を学生が青竜刀で首のあたりを狙って斬りつけたのです。
ところが首に当たらず肩のあたりに青竜刀が当たりますと、その青竜刀を引ったくるようにした国民政府軍の将校と見られる男が、肩を斬られて倒れている日本の男の人を兵隊二人で抱き起こしました。

そして首を前の方に突き出させたのです。
そこにこの国民政府軍の将校と思われる兵隊が青竜刀を振り下ろしたのです。
この日本の男の人の首はコロリと前に落ちました。
これを見て国民政府軍の将校はニヤリと笑ったのです。

この落ちた日本の男の人の首を保安隊の兵隊がまるでボールを蹴るように蹴飛ばしますと、すぐそばの池の中に落ち込んだのです。
この国民政府軍の将校の人は次の日本の男の人を引き出させる、今度は青竜刀で真正面から力一杯この日本の男の人の額に斬りつけたのです。

するとこの日本の男の人の額がパックリ割られて脳髄が飛び散りました。
二人の日本の男の人を殺したこの国民政府軍の将校は手をあげて合図をして自分はさっさと引き上げたのです。

合図を受けた政府軍の兵隊や保安隊の兵隊、学生達がワーッと日本人に襲いかかりました。
四十人か五十人かの日本人が次々に殺されて行きます。
そしてその死体は全部そこにある池の中に投げ込むのです。
四十人か五十人の日本の人を殺して池に投げ込むのに十分とはかかりませんでした。

池の水は見る間に赤い色に変わってしまいました。
全部の日本人が投げ込まれたときは池の水の色は真っ赤になっていたのです。

私はもうたまりません。
Tさんの手を引いて逃げるようにその場を立ち去ろうとしました。
そして見たくはなかったけど池を見ました。
真っ赤な池です。
その池に蓮の花が一輪咲いていました。

その蓮の花を見たとき、何かあの沢山の日本の人達が蓮の花咲くみほとけの国に行って下さっているような気持ちになさしめられました。

Tさんと一緒に家に帰ると私は何も言うことが出来ません。
Tさんは一生懸命私を慰めてくれました。
しかしTさんが私を慰めれば慰めるだけ、この人も支那人だなあという気持ちが私の心の中に拡がって来ました。

 *

昼過ぎでした。
日本の飛行機が一機飛んで来ました。
日本軍が来たと誰かが叫びました。

ドタドタと軍靴の音が聞こえて来ました。
それは日本軍が来たというもので、国民政府軍の兵隊や保安隊の兵隊、そしてあの学生達が逃げ出したのです。

悪魔も鬼も悪獣も及ばぬような残虐無惨なことをした兵隊や学生達も、日本軍が来たという誰かの知らせでまるで脱兎のように逃げ出して行くのです。
その逃げ出して行く兵隊達の足音を聞きながら、私はザマアミヤガレという気持ちではなく、何故もっと早く日本軍が来てくれなかったのかと、かえって腹が立って来ました。

実際に日本軍が来たのは翌日でした。
でも日本軍が来たというだけで逃げ出す支那兵。

とても戦争したら太刀打ち出来ない支那兵であるのに、どうしてこんなに野盗のように日本軍の目を掠めるように、このような残虐なことをしたのでしょうか。
このとき支那人に殺された日本人は三百数十名、四百名近くであったとのことです。

私は今回の事件を通して支那人がいよいよ嫌いになりました。
私は支那人の嫁になっているけど支那人が嫌いになりました。

こんなことからとうとうTさんとも別れることとなり、昭和十五年に日本に帰って来ました。
でも私の脳裏にはあの昭和十二年七月二十九日のことは忘れられません。
今でも昨日のことのように一つ一つの情景が手に取るように思い出されます。

そして往生要集に説いてある地獄は本当にあるのだなあとしみじみ思うのです。

引用以上

   地獄です。

   でも、今でも同じ事がチベットやウイグルなどで起きていないといえますか?


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by kidokazu | 2016-07-27 11:13 | 拡散希望 | Comments(0)

ねずさんブログ名変更

ねずさんのブログです

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3091.html?sp

引用



ねずブロのタイトルを変えました。
「小名木善行 ねずさんのひとりごと」
  ↓
「ねずさんと学ぶシラス国」
に変更です。

ブログランキングの登録カテゴリーも、政治から哲学に変更しました。

調べてみましたら、
「ねずさんのひとりごと」ですと、これは悪評が立つ凶運数・・(たしかに(笑))
「小名木善行 ねずさんのひとりごと」ですと、艱難苦難の末に事業を再建するという運命数なのですが、先に艱難辛苦があるのだそうで、これもちと困る(笑)

「ねずさんと学ぶシラス国」は、あまり深く考えたわけではないのですが、発展を示す吉運数なのだそうです。(うれしい名前です(笑))

これに伴い、人気ブログランキングの登録カテゴリーも、政治から哲学に変更しました。
実際、ねずブロは、なぜ政治にいるのかわからないほど、政治のことをほとんど語っていません。
語っているのは、シラス国という視点から見た日本の歴史であり、和歌や古事記などに代表される文化であり、日本人が忘れてしまっている日本の古くからの知恵です。

人気ブログランキングの登録カテゴリーは、三千くらいあるらしいのですが、そういう視点のカテゴリーはないので、とりあえず、人文分野の哲学に登録してみました。
これからも、ご贔屓のほど、よろしくお願いします。


引用以上

   「シラス」という単語を知ったのは、このねずさんのブログでした。今回満を持して、ブログタイトルにシラスと入れました。今後一層のご発展を期待いたします。

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by kidokazu | 2016-07-27 08:08 | 拡散希望 | Comments(0)