カテゴリ:中華民国( 5 )

蒋中正像撤去

戦後体制の超克さんのブログです


http://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12251875534.html



引用



 また、ここだけでなく台湾全土に「蒋中正(=蒋介石)」の銅像が設置されていることは、日本ではあまり知られていません。
 この「蒋中正(=蒋介石)」による独裁政治の名残りを止める銅像の撤去求める法案が、台湾の国会にあたる立法院を通過したという驚くべきニュースが飛び込んで来ました。
 以下、産経新聞ニュースより引用します。

蒋介石像の撤去求める提案、立法院通過/台湾
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201702250007.aspx
(台北 25日 中央社)台湾各地の学校に設置されている蒋介石元総統の銅像の撤去を行政院(内閣)と教育部(教育省)に求める提案が24日、立法院(国会)を通過した。
与党・民進党の議員13人が提出したもので、「学校は民主主義を広める場。そこに政治家の銅像を建てることがあってはならない」、「蒋介石は国民の評価が分かれる人物」、「銅像を設置する法的根拠がない」などと撤去の正当性を訴えた。
台湾では、蒋介石を偉大な指導者としてたたえる人がいる一方、独裁者や「二・二八事件」の元凶とする見方もある。その銅像をめぐり、近年は 「かつての権威主義体制の象徴」などとしてペンキをかけたりする動きが活発化。2015年に台南市の頼清徳市長(民進党)も学校からの全面撤去を発表していた。
【二・二八事件】1947年、国民党政権による台湾統治への不満の高まりを背景に、台北で起きた抗議デモが全土規模の民衆蜂起に発展。事態は中国大陸から派遣された軍によって収拾されたが、犠牲になった人の数は1万8000人~2万8000人に上るとされる。



引用以上


ニニ八事件とはウィキペディアには
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「二・二八事件(ににはちじけん)」は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(外省人(在台中国人))による長期的な民衆(当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と日本人)弾圧の引き金となった事件[1]。

1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。」

と有ります。

つまり中華民国による「日本人大虐殺事件」なのです。
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by kidokazu | 2017-03-16 12:58 | 中華民国 | Comments(0)

そよ風さんのブログです


引用




そよ風は、科学的根拠のない数字で日本人を貶める碑が
都立横網町公園に建っている事を問題にしてきましたが、その同じ
公園内には、日本の被災を知った台湾(当時の中華民国)から
並々ならぬ支援があった事を示す鐘があります。
中華民国では、犠牲者の供養のため、仏教普済日済会を組織して
杭州や上海などで法要を行ったあと、梵鐘を鋳造し、日本に寄贈
しました。
幽冥鐘は横網町公園正門から慰霊堂に向かって左の小高い場所に
ある鐘楼内に安置されています。
当時中華民国内で「大清皇帝」となっていた愛新覚羅溥儀は、
地震の発生を聞くと深い悲しみに打ち沈みました。
そして、日本政府に対する義捐金と併せて紫禁城内にある膨大な
宝石などを送りました。
それを日本側で換金し義捐金として使うように日本の芳沢謙吉
公使に伝えましたが、日本政府は、換金せずに評価額
(20万ドル相当)と同じ金額を皇室から拠出し、宝石などは皇室
財産として保管することを申し出ました。
1923年11月に日本政府は代表団を溥儀の下に送り、感謝の意
を評しました。溥儀は後に日本の協力の下で満州国皇帝と
なりましたが、この時点において溥儀は「何の政治的な動機を
持たず、純粋に同情の気持ちを持って行った」と溥儀の帝師の
レジナルド・ジョンストンは自著の中で回想しています。

台湾が東北大震災の時に200億円もの義捐金を送ってくれた
ことは私達の記憶に新しい事です。金額で気持ちを推しはかる
卑しい事はしたくないのですが台湾の日本に対する真摯な
気持ちを忘れてはならないと思いませんか。
阿鼻叫喚の灼熱地獄の関東の惨状が世界中に知れ渡ると、
各国から支援の手が差し伸べられました。当ブログでアメリカから
の圧倒的支援について述べましたが、そのアメリカからは、
「なお希望品を遠慮なく申出られたし」との通知もあったのです。
次いで、イギリス、その次が、中華民国。
他にもインド、オーストリア、カナダ、ドイツ、フランス、ベルギー、
ペルー、メキシコなどから支援が届きました。
一般庶民感覚から言わせて頂くと、台湾という国は、今も昔も、
心からお付き合いしたい国だと思わざるを得ません。






引用以上


   東日本大震災の時もそうでしたが、台湾やアメリカは多大な支援をしてくれました。付き合いたい国とそうでない国を明確にしなければならないと思います。

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by kidokazu | 2017-01-11 14:49 | 中華民国 | Comments(0)

拡散希望!日台友好

さくらの花〜さんのブログです



引用

 平成23311日、東日本大震災。
 報道でこれを見た張栄発さんは、以前、日本の三陸地方を訪ねた時に、東北の人達の素朴で温かい心に接したことを思い出し、「あの人達が、今、悲劇の渦の中に呑み込まれている・・・」とテレビを見て涙を流した。
 この時、李登輝元総統は救援隊を日本に派遣しようと思ったものの、日本の外務省から「台湾の救援隊を受け入れる準備ができていない」と断ってきた。
 被害が拡大して時間がどんどん過ぎる中、李登輝さんは中華航空に頼み込むと「国交のない日本政府が受け入れない」と言われた。
 1999年の台湾大震災の時は地震発生 22時間後に日本の救助隊が現地入りして救助してくれた。その恩に応えるのは今しかない。何とかしたい一心で李登輝さんはエバー航空の張栄発総裁に電話した。 
 すると張栄発さんは「わかりました」と快く引き受けてくれ、しかも「費用は一切いらない。恩ある日本のためです。飛行機は無償で飛ばす」と言った。
 張栄発さんは個人でも義援金として10億円を日本に寄付し、10億円で足りなければいつでも出すから、遠慮なく言ってほしい」 と言った。
 さらに自身の長栄グループ傘下の海運会社に対して緊急救援を提供するよう指示し、日頃の人脈をフルに使って各国政府や国際救援組織の関係者に日本のために物資を被災地まで無料で運ぶように要請しました。




 震災の翌年、日本政府は張栄発さんに台湾として過去最高位の勲章「旭日重光章」を贈られました。この時、豊明殿において天皇陛下に拝謁されました。
 張栄発さんは「きわめて光栄なことであり、日本政府が私に対して評価していただいたことをとりわけ感謝している。そのため、自ら来日し勲章伝達式に出席した」と述べていました。


 

熊本地震でエバー航空台湾本社から「手と手をつないで心の絆。
日本と台湾の友好がずーっと続きますように」のメッセージが届けられました。
 


引用以上

   あの東日本大震災の時の台湾の方々の日本への援助は、忘れてはならないと思います。

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by kidokazu | 2016-09-26 09:21 | 中華民国 | Comments(0)

親日?台湾

〜日本嫁日記さんのブログです



引用


日本人は現実を見極め、台湾との関わり方を考えた方がよいでしょう。


馬は確かに支那共産党の圧力でいろいろ最後に小細工を仕掛けてきた。

ただし、
台湾に絡めて「日本」を叩き台湾人の「愛国心」を煽ることで国民党の支持率は上がる。
それを知っているからこその、ここにきての様々な嫌がらせ。国民党にとっては大嫌いな日本を叩くことで自分たちを正当化できるのですから、こんなに美味しい政治駆け引きはありません。


別途記事にしますがその日本への嫌がらせの指揮を執り
「日本のことを考えただけで腹が立つ!」
と公然と言ってのけた行政委員長の人気がここに来て蔡英文に次ぐ支持率を獲得。
台湾人の56.6%がこの行政院長・張善政を支持し、不支持率はわずか15.5%という事実
を、日本人はどう見るのか。


実に情けない、台湾の現実です。


引用以上

   台湾は親日国家であることは間違いないでしょう。しかし、日本をディスる政治家が人気なのも現実ですね。過激な主張で一時的に人気があるだけだと思います。

ぼくのヒーローアカデミア♯5を見ながら

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by kidokazu | 2016-05-14 17:33 | 中華民国 | Comments(0)

軍中楽園

愛国女子〜さんのブログですです。

http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/4614266.html 


引用

 私は去年、台湾の離島である金門島に行きました。金門島は支那大陸にへばりつくようにある小さな島です。晴れた日には厦門が目と鼻の先に見える近さです。中国共産党軍は金門島を果敢に攻めましたが結局落とせず、今でも台湾の領土として残っています。さて、驚いたことに金門島ではなんと! 中華民国軍兵士の慰安所だった「特約茶室」の跡地を観光地として整備していました。説明文には「軍妓の制度には長い歴史がある。世界各国、同様である」とか「1951年、金門島に最初の『軍中楽園』が開設された。のち『特約茶室』と改称された」などとあっけらかんと書かれていました。「軍中楽園」とはまさにズバリ! の命名ですね。馬総統は金門島を何度も訪れているはずです。それなのに「軍中楽園」の存在をご存知ないのでしょうか? 


引用以上


    慰安婦施設は日本だけでは無く、世界中に有りました。勿論、台湾にも有った訳です。その証拠を御丁寧にも観光地として整備していたのですね。
( ゚д゚)ポカーン
┐('`;)┌呆れた


逆転裁判#2を見ながら。

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by kidokazu | 2016-04-19 15:49 | 中華民国 | Comments(0)